ダライ・ラマと男児の例の動画を目撃して考える「私たちが子供を守るためにできること」


朝イチ目に飛び込んできたツイート(最後に和訳します)。

カーディ・Bがタイムリーにコレをつぶやいた直後にダライ・ラマが終わるわけで。

 

そこから「ダライ・ラマが式典で男児に舌を吸わせる動画」をこの目で私も目撃するまで超速でした。

キモいけど「偉い人が詰んでいく、歴史の終わりを目撃する記念なので貼る。

 

 

いやキモ過ぎるのよ。キモが過ぎるんだって。

でもこれはとてもいいツイートだ。

特に”sexually assaulting a young boy”

「男児を性的に襲撃している」

とちゃんと適切な言葉を使っているのがよい。

 

assault

〔人に対する〕暴行;婦女暴行《◆rape の遠回し語》
[ジーニアス英和(第5版)・和英(第3版)辞典]

ちなみに日本版のYahooニュースでもトップに上がっておりましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

“ダライ・ラマは「無邪気に遊び心で人々をからかうことが多い」といい”

 

という釈明まるごと胸糞案件ですな。

小児性愛を「無邪気に遊び心で人々をからかう」で言い逃れするタイプの偉人がここにも。ああそうですか。

 

 

これまで私が1ミリでもダライ・ラマの「慈悲のお言葉」みたいなのをありがたく心に受け取った記憶はここですべて抹消完了したことを報告します。

 

 

 

・・・もうこういうのええ加減にしよな、ほんまに。

「偉い人の性的虐待」はニュースで見飽きていても、「今後どんなキモからも、子供たちが自分で身を守る方法」は今すぐ考えて広げていかなくてはならない。

 

 

そこで、冒頭のツイートを和訳します。

 

Dr. Nicole LePeraより。

 

Model boundaries.

境界線(バウンダリー)の規範を私たちが示そう。

 

Don’t force children to hug relatives.

子供たちに、親戚をハグしてあげなさいとか強制しないこと。

 

Allow them to say “no” and appear rude if they don’t want to interact.

子供たちに「No」と言わせてあげて、失礼な態度を取らせてあげなければ。もし子供たちがその相手と関わりたくないならば。

 

Let them be autonomous, rather than being conditioned people pleasers concerned with making others comfortable.

子供たちに自分で決めさせてあげよう。親が他人を不快にさせたくないからと言って、子供にも他人を不快にさせないよう喜ばせる、みたいなしつけをしてはいけない。

 

このツイートに先立って、Dr. Nicole LePeraは、

“「いい子」に育てることの危険”を指摘しています。

 

 

 

 

もっと連投なので内容を以下に要約和訳すると、

 

親が「人に失礼な態度を取ってはいけない」と子供をしつけ、「いい子に育てることで、子供は高い代償を払うことになる。

 

「いい子」に育てられてしまうことで、この子は「不快を隠して明るく振る舞い」「嫌なことを嫌だと相手にキッパリ言うことができない」、つまり「危険な相手を初手から拒絶するという行動を取れない」からである。

 

その例として、親戚の集まりで、粗暴で酒臭い叔父と同席して思春期の娘が嫌悪感を感じているとわかっているのに、母親は「不快な同席者がいるときにはどうすればいいか」を教えるでもなく、「自分の身の安全の守り方」を教えるでもなく、「叔父さんにご挨拶のハグをしなさい。失礼でしょ?」と教える。

 

「礼儀正しさ」の方が大事。

「失礼なのはダメ」と。

 

そして娘はその叔父をハグせざるを得ず、体はフリーズし、感情は断絶する。

子供時代にこう育てられると、生きていくのに重要な人間関係の知恵を身につけないまま大人にならざるを得ない。

重要な生きる知恵である「助けを求める」とか「身の安全を守る」とか「いさかいを解決する方法を誰からも教わらずに大人になってしまう。

 

「最初にノーと言えなかった」ことで、どれほど大きな代償が生じるかを、私たちはもう嫌というほど知っています。

 

 

うちの心配性の母親もニュースを見ていつも言ってました。「付き合うのは簡単やけど、別れるのは大変や」と。数々のストーカー犯罪を見て、「なんでこんな相手とそもそも関わったのか」とニュースになってから私たちは思うけれど、それと同時に「どうしようもなく辛いときに自分に優しくしてくれる相手」がどれほど心の慰めになるかも私たちは知っている。

 

危険から身を守るには、「辛いときに安心して辛さを訴えられる安全な環境」がまず必要なのだと思います。

 

ひとりで抱え込んでしまったら、「この人しかわかってくれない」という危険な依存を生む。

 

 

そして、なぜひとりで抱え込むことになるかといったら、

「嫌なことを嫌だと言ったら怒られた」

「辛いときに辛いといったら我慢しろと言われた」

これは私たちがみんな子供の時に大人からされて経験している「感情のキャンセル」であり、心の抑圧であり人間関係の孤独です。

 

 

子供がグズるとき、受け止める余裕がなかった。

子供が言うことを聞かないとき、親も限界ギリギリで辛い。

 

 

私たち親のほぼ全員が経験してきたであろう

「ワンオペや孤独な子育て」

「ちゃんとした人間に育てなければ、という世間からのプレッシャーは、

こうして「子供の身の危険」にやがて繋がっていく危険性を孕んでいるのだと私たちは理解し始めています。

 

子供が大人に対してハッキリと「No」の意思表示をするとき、これから私は「イラッ」とするのではなく、

 

 

「この子は自分で自分の身を守ることができそうだ、いいぞ!」

と(時に泣き笑いで、歯を食いしばって)ガッツポーズしようと思います。

 

 

みなさんは今回の件、どう思われますか?

コメントやシェアでぜひご意見をお聞かせください。

 

 

 

 

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